「日本」と「日の丸」の根拠
太陽信仰は、人類の精神活動の出発点
<日本人はどこからきたのか>
人類はアフリカから出発し、地球上のさまざまな場所に向かうようになったといわれています。
しかし、旧石器時代以前のアフリカは今日のような砂漠の乾燥地帯ではなく、森も泉もあったと推定されます。
したがって、そこを離れるモチベーションはもっと高い、精神的な動機があったはずです。
その最も蓋然性があるのが、太陽の昇る方向に行こうとすることです。
後のキリスト教でも「エデンの東」という言葉があり、
大教会堂はすべて東を向いています。
「光は東方より」なのです。
日本は日の本の意味をもち、太陽の昇るところ、という意味が世界中で認められています。
(フランスでは日本のことをソレイユ・ルヴァン~昇る太陽の国、と呼んでいます。)
それは今日はじまったことではなく、遠く何万年前の時代からそうであったことは確実です。
太陽信仰は、人類の精神活動の出発点でした。
日本はアマテラス、お天道様がそうであるように、
エジプト文明では、アテン、ラー、
ギリシャ神話では、アポロ、ヘーリオス、
ケルト神話では、ペレヌス、ヌーなど、
日本以外でも多数あります。
これらの太陽神名は、有史以来のものですが、旧石器時代から太陽信仰は確実にあったといえるでしょう。
もともと旧石器時代の人々が寒い時代に、暖かいアフリカを離れる必要はなかったはず。
当時はアフリカは今日の砂漠の多い乾燥地帯ではなく、森も泉もあったと推定されます。
だから、人類が発生したのでしょう(これについては諸説あり)
したがってそこを離れるモチベーションはもっと強い、精神的な動機があったはずです。
その最も蓋然性があるのが、太陽の昇る方向に行こうとすることです。
後のキリスト教でも「エデンの東」という言葉があり、大教会堂はすべて東をむいています。
「光は東方より」なのです。
<太陽の昇るところを目指して移動した人々>
多くの人々が、太陽の昇るところを目指して歩き始めました。
しかし、早く荷物を持っていくためには木で船を造って、海岸沿いに進んでいくことの方がまだ楽だと考え付きました。
この木の船の旅ということが、日本人の多くの考古学者の視野になかったことです。
しかし、神話では船が鳥のように早い、と述べており、日本には「鳥船神社」という神社の名前があるほどです。
アフリカの人々の一部となぜか日本人のDNAが近いという調査もあります。
大陸を通らずまず日本に向かった人々もいたはずです。
また、これも注目すべきことですが、支那神話には太陽信仰がありません。
つまり、支那に着いた人々は太陽を求めてやって来た人々ではなかったらしいのです。
そして、支那に着いた人々は大陸からさらに離れている島国まで来るという苦労を冒すことはあまりなかったでしょう。
調査によると、日本に一万以上ある旧石器時代の遺跡も、朝鮮半島には50ほどしかない、という報告がでています。
つまり、半島を素通りして日本にやってきた人々が圧倒的だったということになります。
すでに旧石器時代からこの日本に新人類がいました。
旧石器時代の遺跡は日本に1万以上あります。
日本にやってきた人々は日の昇る国にたどり着きたいという希望をもち、多くは船で南方からやってきたのです。
船で南方から黒潮に乗ってやってきたのです。
そしてその太陽信仰の人々は関東・東北でまず生活し始めたのです。
日本で旧石器時代の遺跡が発見されたのが群馬県だったこともそれを証明することになるでしょう。
二万年前以後、縄文時代に入っても90%の人口が日本の東に住んでいたという調査結果が出ています。つまり船で着いたとしても、九州・四国に居つかないで、関東・東北に来てしまったのです。
その理由は日の本を好む日本人、日の丸を仰ぐ日本人が大半だったからです。
日本という国名が、8世紀の律令時代に作られたと考えられがちですが、
人類学的見地からはすでに日本は、日の本であった、ということになります。
日本神話がギリシャ、インド、インドネシアなどとも似ている部分があるのも
そうした船でやってきた人々の記憶が残っていたからでしょう。
引用
東北大学名誉教授
田中英道