【地名の由来】両国橋
明暦三年(1657年)のちに明暦の大火と呼ばれる大火災が江戸の町を遅い、逃げ場を失った江戸市民の多くが命を落とした。
当時隅田川には千住大橋しか掛かっておらず、それが被害を大きくした一因とされた。
そこで幕府は新たに橋をかけることにした。
当時の国割で現在の中央区側が武蔵国・墨田区側が下総国とされ、この両国を結ぶことから「両国橋」と呼ばれるようになった。
明暦三年(1657年)のちに明暦の大火と呼ばれる大火災が江戸の町を遅い、逃げ場を失った江戸市民の多くが命を落とした。
当時隅田川には千住大橋しか掛かっておらず、それが被害を大きくした一因とされた。
そこで幕府は新たに橋をかけることにした。
当時の国割で現在の中央区側が武蔵国・墨田区側が下総国とされ、この両国を結ぶことから「両国橋」と呼ばれるようになった。