アラハバキとは

津軽の民が古代から信仰していた神がアラハバキがある。
御神体は黒光りする鉄の塊という謎めいた神で、未だに正体は解明されていない。
亀ヶ岡遺跡や大湯ストーンサークルからは、変わった形の壺や笛に用いたとされる菱形の土器がよく出土する。
それらはトルコの辺りにかつて存在したヒッタイト(インド・ヨーロッパ語族のヒッタイト語を話し、紀元前15世紀頃アナトリア半島に王国を築いた民族、またはこの民族が建国したヒッタイト帝国。

他の民族が青銅器しか作れなかった時代に、高度な製鉄技術によりメソポタミアを征服した。最初の鉄器文化を築いたとされる。)

の土器と非常に似ている。

ヒッタイトは世界で初めて製鉄を行った古代帝国である。
ヒッタイトのどこで土器が作られていたかを追い求めると、製鉄施設を含むアラジャ・ホユックの遺跡にたどり着く。
ヒッタイトでは鉄製品をハバルキと呼んでいた
アラジャ・ホユックのハバルキが転じてアラハバキになったのではないか?

土器の類似性から相当古い時代に竜を崇める民が日本に渡って津軽辺りに住みつき、縄文時代を作り上げた可能性があると考えている。

幼い頃より馴染みの深い神ではあるが、なぜ拝まなければならないのか、実はよく知らない。
「蝦夷とて拝んでおるじゃろうに」
二風は面白そうに笑ったあと、「須佐之男命の名を存じておるか?」
真面目な顔で訊ねた。阿弖流為は首を傾けた。母礼も知らないらしかった。
「陸奥とはあまり縁のなき神。むしろ蝦夷にとっては敵に当たる。
出雲に暮らしていた蝦夷の祖先を滅ぼした神じゃ。
その須佐之男命が出雲の民より神剣を奪った。 草薙の剣と申してな・・・別名をアメノハバキリの剣と言う」
「ハバリキの剣」
阿弖流為と母礼は顔を見合わせた。
「鉄で作った刀のことじゃ。それまで朝廷の祖先らは鉄の刀を拵える技を持たなかった。出雲の民を滅ぼして、ようやく手に入れた」
「するとアラハバキとは?」
「鉄の山を支配する神じゃよ。この神の鎮座ましますところ、必ず鉄がある。アラハバキの神は鉄床を磐座となされる。我ら物部はその磐座を目印にして鉄を掘りだし、刀や道具を代々生み出して参ったアラハバキの神こそ物部を繁栄に導く守り神」
「・・・・・・」
「そればかりではない。アラハバキは少彦名神とも申して、出雲を支配していた大国主命のお手助けまでなされた。それで蝦夷も大国主命とともにアラハバキを大事にしておる」
なるほど、と二人は頷いた。物部は鉄の在処を知らせてくれる神として、蝦夷の祖先の地である出雲の神として敬っていたのである。

(「火怨 北の燿星アテルイ」高橋克彦著より)

 

弥生の初期に渡来した部族の最高神アラハバキの信仰も「記紀」の影響や仏教による変容で、すっかり影をひそめ江戸時代には、何神であるかは不明になってしまった。

わずかに古代氏族が王権の抹殺をのがれるために密かに今日までその伝統を守り続けた。

かろうじて文献のみその名をとどめるか、あるいは、末社で密かに生きつづけるのにすぎない。

神社や寺院にはアラハバキの名こそ消えてしまったが弥生文化といえば稲作と同時に製鉄の始まりであるからアラハバキ神は製鉄とも密接な関係があることを無視できない、草鞋、鉄製下駄を供えたり、目の神様になっていたり、習俗から見て元の神が変容していることを示す、例が数多く発見できる。

それから、多くの本殿や本堂ではなく、末社・摂社に追いやられているので注意したい。

【島根県】 出雲大社の境内末社に門神社二社があり、出雲大社資料館の彰古館には寛政8年(1668)作成の古社図が展示してあり、門客人社と記載されている。

八束郡千酌の爾佐神社の境外社・荒神社は、通称「お客さん」とか「まろとさん」と言われ、「アラハバキさん」と呼ばれていました。