八坂神社の「八坂」とは

八坂神社社伝によると、斉明天皇二年(656)高麗の調度副使、伊利之使主(いりしおみ)の来朝にあたって、
新羅の牛頭山に坐す素戔鳴尊をまつったことに始まると伝えている。
伊利之は『新撰姓氏禄』によると八坂造の祖であった。

『 新撰姓氏録 』の、諸蕃 帰化人系の氏族 326氏の中に、

  八坂造 出自 狛国人 久留 川麻乃 意利佐也

とあります。   ・・・・・ (写真参照)


これを、

八坂造(やさか の みやっこ) は
久留(くる) 川麻乃(せんまえ) 意利佐(おりさ)の
狛(こま)国人(高句麗人)の 出身。

と読みます。 この意味は、、

久留(クル)は、中国・江南(長江の南)にあった クル=呉 のこと。
意利佐(オリサ) は、インド東部の オリッサ州。
川麻乃(センマエ) は、呉 と オリッサ の 中間にある、タイの チェンマイ の こと。

祇園祭りの伝統を守ってきた 京都、八坂神社の社家・八坂一族は、
・インドのオリッサ州から、
・タイのチェンマイ、
・中国の 呉 を経て、
・朝鮮や日本にやってきた、コマ国(高句麗=狛国)の人である

・・・と読めるのです。

祇園祭の原型はインドオリッサ州のラタヤットラ祭り、という説もあります。

八坂神社の祭りは、火を使います。
中央アジアの拝火教の名残があるという説があります。

参考:3世紀のアジア