大嘗祭
大嘗宮という大掛かりな神殿を作らねばなりません。昭和3年には仙洞御所内に造営しました。木の皮をめくらない黒木を使用し黒木造りで造営します。ちなみに嵐山の野々宮神社の鳥居は黒木造りです。重要なのは儀式をする主基殿(すきでん)と悠紀殿(ゆうきでん)で、この神殿で長時間に渡り、日をまたいで行います。
悠紀(ゆき)・主基(すき)の国・郡を卜定(ぼくじょう)する。
悠紀・主基の国を斎国(いつきのくに)という。
悠紀は東日本、主基は西日本から選ばれるのを原則とし、
畿内の国(山城国・大和国・河内国・和泉国・摂津国の令制5か国
(現在の京都府、奈良県及び大阪府))から選ばれたことは一度もない。
宇多天皇以降は、
近江国が悠紀、
丹波国と備中国(冷泉天皇の時のみ播磨国)が交互に主基とされ、
その国の中で郡を卜定した。
天皇が行う祭りで最も重要な大嘗祭は、聖水沐浴、神人共食、御衾(おぶすま、寝所)秘儀という3つのステージから成るがキリスト教の礼典と酷似している。