鳥浜貝塚遺跡(福井県 三方五湖)
寄せ鍋は縄文時代の発明。
竪穴式住居の中の囲炉裏で、縄文土器と呼ばれる土鍋の中に貝や魚、野菜を入れて、グツグツと煮て家族で食べる。
これが今にまで続いている。
北海道から沖縄まで、三日月状に島が連なる日本列島の原型ができたのは、約5千万年前です。日本海が誕生し、日本は大陸から完全に孤立しました。
そのために臨海地帯が発展する。
鳥浜貝塚は縄文時代の始まりである草創期(1万6千年前)から前期にかけての古い集落遺跡。50年前、五湖の1つで最も南にある三方湖に注ぐ河川の改修工事のさなかに、地下3~7メートルの川底の土の中から偶然発見された。
土器や石器に加え、通常は腐って跡形もなくなる木製品や漆製品、縄、ひもなどの植物由来の遺物が腐らずに往時の姿のまま大量に出土し、関係者を驚かせた。
「まさに奇跡的。暗い低温の水底で、空気や日光に触れることなく真空パック状態で水漬けにされたため、様々な遺物が極めて良好な状態で保存された」。
若狭三方縄文博物館で学芸員を務める小島秀彰さんは、鳥浜遺跡が「タイムカプセル」と呼ばれる理由をこう説明する。
さらに鳥浜遺跡の多様で豊かな出土品は、縄文人が工芸や装飾、栽培などで高度な技術と文化を有していたことを立証し、それ以前の旧石器時代の原始人と同じように思われていた縄文人のイメージを一新した。
特に優れていたのが漆製品。漆は栽培から樹液の採取、管理、塗布まで高度な技術と工程管理を要するが、縄文人はその難物を使いこなしていた。縄文漆器の最高傑作とされる「赤色漆塗り櫛(くし)」をはじめ、鳥浜の漆製品は現代の漆工芸の技術と変わらないレベルという。
昨年には以前に出土した漆の枝が「放射性炭素(C14)年代測定法」という理化学の技術を使って分析した結果、世界最古の約1万2600年前のものであることが判明。漆は従来、大陸から持ち込まれたと考えられていたが、今回の“発見”で日本に自生していた可能性が生じ、日本の独自文化として鳥浜の漆に新たな注目が集まっている。
そして鳥浜を含め三方湖周辺の縄文遺跡からは11隻の丸木舟が出土している。
本州と北海道の間も船が行き来していた。
日本書紀には大和朝廷が180隻からなる海軍を保有、斉明天皇が安倍比羅夫をトップとして北海道にこの海軍を派遣したと書かれている。
安倍比羅夫は蝦夷を平定し、さらに北海道に入ってきた異民族を蝦夷と一緒に撃退したとある。これには考古学的な裏付けもあります。
安倍比羅夫は弊賂弁島(ヘロベ)の砦に籠る凶暴な異民、粛慎(ミシハセ)を蝦夷の要請を受けて成敗したと書かれています。
弊賂弁島は北海道南部の奥尻島という説がある。
粛慎はオホーツク人と言われる人々ですが、彼らの遺跡が奥尻島に残っています。